「毎年、一年生です」
そう言いながら、畑で見せた彼の笑顔には、自分にしかできない何かを日々見つけているように見えた。
美幌の町中を抜けると、右手に喜多さんの畑を見つける。
小さなバイクを乗りこなす金髪の少年、いや青年は、
ぶっきらぼうな口調ながらインタビューの30分間、語り続けてくれる熱さがあった。
彼は、大学を卒業してから中標津で就職。そして2年後、実家である三雄産業に戻り、
今年で農業人5年目を迎える。畑の管理は基本、彼一人でやっている。
もち麦を昨年から作り始めて大変だったことは?
「どうなんですかね。まあなんでも一年生なんで。だいそれたことは言えないですけど、
僕の好きの原点は、僕の作ったものを食べてもらって、食べてもらった時の美味しいがあれば十分かなと思います。
食っていくことを考えるとそれだけではダメっていうのもわかるんです。
いろいろ考えないといけないけれど、
美味しいの一言があれば十分で、それを忘れないようにいつもしています。」
彼のこの姿勢はどこから来るのだろう。
「俺が俺がっていう感じになったら答えが返ってくるわけではないので、自分はいいものを取りたいけれどお金はかけたくないし、かけないと病気になるのでそこのさじ加減が自分の腕次第だと思っています。
そこが磨けてないから模索状態っていうのかな。
基本、畑が偉いと思わないと前には進まないかなと思います。
育ってきた環境と飲んできた水がそうだったのかな。」
と照れ笑いしながら、でも嘘のない言葉が出てきた。
2年目の抱負は?
「人より多く収穫したいです。就職した時は売る立場にいて、その後、作る立場になりました。
農協に出した後のお客さんの声は聞こえないから、社長(父親)が麺屋に卸したりもしてね。
一概にどれが正しいと言い切れないんです。だから、いろんなことを試さないといけない。」
「北海道の農家は一年に1回しか勝負できない。今25歳で、人生であと何回勝負できるんだと思うと、一年がどれだけ大事か必然と出てきますよね。
先代と同じことやって収量が獲れていたら良いけれど、そうでないなら何か改善しなければいけない。
そういう思いでやっていかないと良いものが獲れないかなと思うところです。」
そう迷いながらも自分自身に問う彼が印象的だった。

彼は、「もち麦や小麦を作っていく中で、すぐ味のわかる食材でないからこそ答えが見えずらいね。」と最後につぶやいた。
それでも何年か後、誰かに食べてもらった時の美味しいが、いつか彼なりの一年の答え合わせになるんじゃないかと願う。
はたまた、未来の奥さんに、彼の作ったもち麦で美味しい手料理を作ってもらい笑顔で食べている姿を想像したい。
その時も、きっと彼は「毎年、一年生」と言うだろう。
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Farmer (美幌町)
喜多敦史さん
有限会社三雄産業
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WRITING:能圓坊祐子/PHOTO:林恵子